雑記

青森紀行・その1 埋もれた世界

 ご無沙汰しておりましたが、またボチボチと書いていこうと思ってます。春爛漫の今日この頃、どこに出かけるのもあたたかく、うれしくなる陽気です。出かけたい虫が騒いで、今月4月の9日から青森に行ってきました。青森は縄文遺跡がたくさんあり、未だ見たことがなかったので、とても愉しみにしておりました。

 青森市内で中心部からもそれほど遠くないところにある、あまりにも有名な三内丸山遺跡、江戸時代にはすでに土偶などが出土したことが記録に残されていたようですが、本格的な調査は1992年とのこと。県営球場建設の計画があったようですが、これほどの大規模な遺跡は残さなければとのことで計画は中止、縄文遺跡の資料館がかわりに建設されることになったわけです。

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 敷地内に住居痕や大型建物(集会場や共同作業場と思われる)ものが復元されていて、縄文テーマパークのようです。そして直径1メートルを超える栗の木の柱が見つかったことでわかった六本柱建物、こちらも復元されてこの遺跡のシンボルにもなっています。当時から素晴らしい建築技術を持っていたことがわかり、発見された当時、世間の耳目を集めました。他の遺跡でも共通する古代の尺がすでに出来ていたという説もあるほど、縄文人のテクノロジーはすごいのがわかりますね。

大型建物も復元されて中も見学できるようになっています。そのつくりは子供時代に見た母の実家のわら葺き屋根の内側とほぼ同じ。その昔にきっと出来上がっていたものをずっとずっと踏襲してきたんでしょうね、つくづくご先祖はすごいと改めて思った次第。

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さて今度は資料館の中へ。縄文前期中盤からですから、ここは円筒下層式土器がたくさん並べられています。段ボールで数万箱の遺物が出土したこの遺跡ですから、とにかく豊富。その中で珍しいもの、見どころのあるものを並べてもこんなにあるのか!というくらい見ることができます。なかでも圧巻はこの翡翠製大珠。ライトアップされているので印刷物で見るそれよりもはるかにきれいできらきらと輝いていました。当然これは新潟県は糸魚川市の姫川産の翡翠なわけで、古代の交易を物語る証拠であるわけです。現代人も宝石として珍重する翡翠、古代の人々もその美しさに魅了されて大切にしたのは同じことです。旋盤の機械があるわけでもなく、硬い玉を手製の錐で穴をあけるのには気が遠くなるような時間を要したと思います。それでもそれを身に着けられるようにした古代人の世界観、雄大な時間感覚。ちょっとコセコセとした現代人にはある種うらやましくもあります。

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考古遺物によりいっそうハマってしまった今回の旅、もっと多くの人に知ってもらいたい!、自分の商売に励むことがそれにつながるのかなと思ったわけでした。そして旅と云えば温泉と美味いもの、それはまた続きで書こうと思います。

旅行]2014年4月26日