雑記

仙厓を観ましたか

暑かったり寒かったりと季節の変わり目ですね。少々風邪をひいてしまいまして、咽喉が痛くて夜中に起きてしまったりと、今ひとつ調子のよくないのですが、なんとか薬や栄養ドリンクでごまかしごまかしやってきています。皆さんもどうぞお気を付けください。

先日お休みの日に(自営業に決まった休みというのは基本的にないのです。ただその気になったときだけお休みになるということですな)丸ノ内の出光美術館に「大仙厓展」を
観に行ってきました。これは福岡市の美術館と九州大学、そしてこの出光のコレクションが揃う力の入ったもの、会場は年代ごとに画風の変遷がわかるようにズラッと大量に並べられていてなかなか見応えがあるものでした。

仙厓と云えば指月布袋の図があまりにも有名ですが、その前の若いころは本格的な画僧を目指していたようで、当時の絵画のメインストリーム、狩野派のようなきっちりとしたものを描いていたようです。しかしあるとき画僧の仕事に熱中することで本来の仏道修行がおろそかになることを恐れて学習を自らストップする、なんてエピソードも語られていまして興味深いですね。しかしこのことがキャラクターに合っていたようで、その後の自由闊達、奔放、無垢、などのキーワードで語られるこの人の愉しい絵画が大輪の花を咲かせるのですからいい選択だったのでしょう。あの一見童子の戯画のように見えるタッチ、伸びやかな線も基礎の修練があってこそだというのがよくわかります。良い加減な絵はいいかげんな修行ではやはり生み出すことは出来ないのです。ただの僧侶の手すさびと思っては間違いですよ。

しかし観ているこちらサイドはほんと自由に愉しんでしまえばいいこと、この展覧会にもかわいいという理由だけで観に来ている人たちも多いと思いますが、それで私は正解と思います。そのなかで仙厓がこの境地に至るまでの恐らく激烈で峻厳な、それこそ血のにじむような修行を経て生み出してきた裏側にちょっとだけ想いを馳せる人が出てくればいいのではないかと思いました。

動物や子供たちの絵も素晴らしいのですが、特に今回観ていて注目したいのが風になびく竹を描いた一幅でした。これはほんとに素晴らしい!、別にひねくれてそれがいいと云ってるわけではないですよ、風の存在を表わすのは写生がまずしっかりとしていること、そしてテクニックだけでなく、その存在をエモーショナルに表現に込めるという絵描きの資質が無ければ成し得ぬことのような気がしました。

こんな自由な境地に立った人というのはまた孤高の人でもあったかもしれません。しかしその視点はあくまでも温かく親しみを持って庶民に接している人、すでに手許に置くのは難しい稀少なものではありますが、そばで親しく眺めてみたい気持ちが沸き起こりました。

来月11月13日(日)まで開催中です。
1

展覧会]2016年10月21日