雑記

令和の時代

随分とご無沙汰をしていました。少々言い訳がましいことを述べさせて頂くならば、このホームページもそろそろスマートフォン用にリニューアルが必要になってきたな、ということでそれが済んでからまたブログを書き始めようと思っておりました。

しかしそう思っているうちにどんどん状況は進化をし始めていて、毎日の雑記的文章はブログではなくインスタグラム上で発信することが多くなり、そんなこともあってブログは開店休業状態でありました。またリニューアルの方も何だか担当してもらっている妻の仕事が忙しくなり先延ばしし続けてきて今日に至るわけです。

平成最後の年末に少々書いて以来ですから一年半ほったらかしになってしまいました。そして今世はまさにコロナウィルス時代の大変な状況でこうして文章を書くのはなんとも曰く云い難い心持ち、ですが再開の言葉はそのまま明日へのサバイバル宣言でもあります。

人類の歴史は感染症との闘いの歴史。捕食動物がいない(いないように克服してきた)人類は繁栄を極めました。しかし地球のシステムなのか、あるいは神学的テーマであるのかはわかりませんが、とにかく人類にはまた別の病気という試練が与えられました。

それさえもいろんな叡智で克服してきた近代に於いて、なおそうしきれない病が存在しています。悲しいことですがこれは厳然たる事実。釈尊も悟りを得て、人間の存在は生老病死の繰り返し、涅槃必滅の風前の灯のような存在であることを受け入れる諦観を備えよという教えです。(勝手な解釈ですが・・)

ですから死の概念を人生に導入することによって今日を大切に生き抜くという考え方を獲得しようということなのですね。

一日も早い新型コロナウィルスの収束を願って止まないのは他の皆さんと私も同様、ですがこれは簡単にはいかない話しでしょう。そしてこれからも運命を翻弄するような出来事はウィルスに限らず我が身に降りかかることは大いにありうるわけですね。

ですからはかない命を大切にして今日を精いっぱい生き抜くことが生物の本分。まだまだやり残したこと、達成できないことが山のようにある身ですのでしぶとく生き抜いていきますよ。

皆さんもどうか健やかに、私自身もどうか健やかに。

ニュース]2020年5月7日