雑記

夏の勉強会レポート・その2

暑い、暑いとばかり云っていたのに、今日これを書いている朝は、前日の雨のせいですっかり秋のような涼しさになりました。異常気象と云いながら、季節は確実に移り変わり、昼間はまだまだ暑さが続くかもしれませんが朝晩は爽やかになりました。今日は夏の勉強会レポート・その2であります。

前回、奈良の道具屋 河瀬のご主人河瀬洋三氏のお話をお聴きしたことを書きましたが、その後近くにある(ほんと文字通り目と鼻の先です。)史跡、頭塔を観に行きました。奈良時代の僧、玄肪の首塚であるとの伝承がありますが、定かではありません。住宅地の中に忽然と現れる石の基壇を積み上げたストゥーパ、 塔は他にあまり例のない建物です。今は崩れかけていた塔を整備し、石積みをやり直し、石仏の上に屋根を設けていますが、観光コースからはずれ、ひっそりとした丘の状態で永らくあったようです。その塔のあちこちの屋根の下に奈良時代と推定される石仏が(主に如来像とその脇持、)安置されていて、近くで見られないものの不思議なエキゾチズムを漂わせています。築造当時はさぞや立派で、その当時の人々の敬虔な祈りを集め、また好奇の眼で眺められたことでしょう。こんな静かな場所にこんなにすごいものがあるなんて、最初から驚かされました。



さてその後、チャーターしたタクシーで春日奥山ドライブウェイへ。見晴らしのよい場所で休憩したあと、今度は地獄谷の石仏、そして穴仏とよばれる石仏群を観に行きました。いまは覆い屋がされていますが、その昔はさわるように眺めることもできたんだろうとおもいます。平安時代末期の製作で、同じころの製作の大分県の国東半島の石仏群を思い出しました。東大寺建立の為の凝灰岩を切り出したあとに彫られたもののようで、この小山で修業する修険者がたくさんいたのでしょう。またここの谷に遺体を捨てたかもしれません。文字通りの地獄を救済する装置としてほとけがあらわされていると想像しています。

その後険しい山道を歩き廻り(険しいといっても、それは自分の運動不足からで、他の人には普通のハイキングコースかもしれませんが…。)奈良から柳生への物資通行の為、馬が歩きやすいよう江戸時代、奈良奉行が敷かせた石の道を通って首切り地蔵などを観てからこの山を後にしました。

くたびれて脚はがくがく、しかし見応えのある史跡群で、今まで地獄谷の如来像など拓本は何度も扱ってきたのですが、実見するのは初めてでいい経験になりました。

そんなこんなでぐったりしてすぐ寝てしまうかと思いきや、そこで終わらない酒好き共、夕食と云う名の飲み会になだれ込んでいくのでありました。ぐだぐだなのでもうこれ以上書けません、このへんで失礼いたします。

勉強会]2010年9月9日