かなりむかし図書館で、ある一冊の本に出会ったところから話は始まります。それは法政大学出版局から刊行されたシリーズのなかの一冊「南部絵暦」と云う本でした。
岡田 芳朗さんがお書きになったそれは岩手県で作られた田山暦や南部暦の本でした。何となくタイトルに魅かれて手に取っただけでしたが、その内容に今までに感じたことのない強烈なインパクトをもたらしてくれました。それは暦と云っても現代の数字が並ぶカレンダーとはまったく違い、サイコロや奇妙な風俗、不思議な表情の顔などが木版で摺られていたものでした。読み進めていくうちにどんどんその世界に引き込まれ夢中になってその日のうちに読み終わってしまった記憶があります。
めくら暦とも呼ばれたそれ、昔は文盲の人々にも暦の内容が分かるようにとの配慮で分かりやすく、文字ではなく絵を使って表現したものです。農業にとって何時が季節の変わり目の頃かはとても重要でした。その暦にしたがって種まきや収穫の日取りを決めていったわけですから、お百姓にとって学問ではないが必要不可欠な情報源であり貴重なものでした。
さて今回皆さんにご紹介するこれは、めくら経と云って、暦ではないのですが同じように文盲の人々にも仏のおしえを平易にわかりやすく伝え、主に般若心経が多かったようですが、その経文を唱える手助けのための印刷物でした。
特権階級の人々の信仰とはまったく別の、罪を犯した極悪人や知識のない凡愚な衆生でも一心不乱に名号を唱えれば極楽往生できると教えた浄土真宗の教え、それは親鸞聖人が数多く著した和讃などにも表れていますが、もっと社会の最底辺に生きざるをえなかった人々には簡単なかな文字でさえ伝わらないものがあったろうと思います。そんな人のために一生懸命にこれを考えた僧侶の慈愛はそれはそれは深く広いものがあったんではないでしょうか。苛烈な宿命を受け取らざるをえない人たちにそっと寄り添う、そんな身を捨てて布教していった人の存在があったことでしょう
これは新潟県で出たもの、表紙の見返しには頸城郡の地名があります。裏側の紙の継ぎ目には天保4年の文字があり、その頃作られたものというのがわかります。大切な経典を少しでもきれいに装飾しようとしてのことか、紙の表面にはキラ摺りと呼ばれる雲母の粉を蒔いていますね、これは他の経典にも見られるところです。最後の部分には大阪海屋町、日吉信久版とあり(誤字があるようです。)そこで摺られたものでしょう。墨でいたずらしたのか文字に加筆があるのと、絵経文の前後に文字で書かれた序文や奥書がもしかしてオリジナルの状態ではあったかもしれませんが、現状はない状態です。
以前に文久年間のめくら暦は扱ったことが一度だけあったのですが、それは古民藝コレクションの大家、故安岡路洋さんのところにお納めしたのも懐かしい思い出です。このめくら経、目にしたことはあったものの、初めて買うことができたうれしいもの、ぜひぜひ皆さんにも岡田 芳朗さんのご本と共に手にして頂きたいと思っています。
7.2センチ×17.0センチ 江戸後期天保4年(1833年)
経年の擦れや折れ、シミ、穴などが見られます。
価格:75,000円