インド北部で生まれたシッダルタ太子が悟りを開き、仏陀として教えを説いてから二千数百年の 膨大な月日が経過しているわけですが、その教えはいろんなルートで他の国々にも広がり、そして わが国にもそれがもたらされるわけですね。
日本での布教に在来の教えとの争いなどもあったわけでしょうが、 また別に巧みにそれらを取り込んで本地垂迹という新しい考え方を編み出していくようになり、独自の 発展を遂げていくのは皆さんよくご存知のことと思います。
さて日本独自の発展のひとつに、修験道という山岳修行を基本としたものがあります。野山を駆け回り、ストイックに 食べ物を制限して感覚を研ぎ澄まして、自然に充満する神仏の声を聴こうとする宗教ですが、その信仰のシンボルとして 独自のほとけの形を産み出しました。それが蔵王権現と呼ばれるほとけさまです。
いくつか異形もあるようですが、多くはこのように左手で印を結んで腰にあて、右手は密教法具である五鈷杵を高く掲げ、片脚を上げた 躍動感あふれるかたちで表わされます。平安時代から木彫や金銅製の像がたくさん作られ、紹介されてきましたので、ご興味のある 方なら図録等で目にしたことも多いと思います。
さてこれはそんな仏師の製作と云うよりは民衆仏といったような蔵王権現像ですね。全くの素人仕事ではないにしろ、地方を 廻る流浪の名もなき仏師、あるいは修行の拠り所とすべく修験者自らが刻んで笈に入れ、山中で祈った像なのかもしれません。
造像のお手本が書物であったようで、あまり三次元の造形意識というのがなく、ぎこちないような作り方ですが、それだけに 素朴で微笑ましい表現になっています。お顔も本来は憤怒形で怖いものに作るところ、腕白な童子のお顔のような 愛らしさが見てとれます。持っている五鈷杵もあまり細かい表現は難しかったようで、かなり簡略化されて鉄アレイのような 形がまた面白いところです。
いつの頃からか囲炉裏端の神棚に祀られたようで、煤がたっぷりと被っていてそれが固着しています。このように大切に祀られたからこそ 現代に残ってきてくれたわけでしょう。まったくありがたいことです。
某コレクターさんがお持ちになっていたもので、杉箱を誂えて愛蔵されていたようです。本来の台座は無くなってしまった ようで、質感に違和感のない味のいい材を組み合わせて台座としたようです。
蔵王権現の造像例はまったく少なく稀少なもの、手に触れた時には思わず興奮して手の震えを禁じ得ませんでした。 私も随分扱ってきたつもりではありますが、これは初めて買う事のできたもので、手許に来てくれたことに改めて感謝です。
いつも云っていることなんですが、次の世代に大切に伝えたい民間信仰の遺品がまたひとつご紹介出来ることに胸を張りたいような 喜びをお客様と共有できたら嬉しく思います。
本体高さ22.3センチ 台座込み28.8センチ
江戸時代頃
台座に密着している左足の先端部分は補修の造形です。その他割れなどは見られるものの、補修などはなく この手のものとしては比較的良好な状態と云えます。
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