雑記

梅雨の晴れ間に

梅雨のうっとうしい季節ではありますが、今だ長雨にはならずわりかし過ごしやすい陽気が続いていますね。このままだとまたダムの干上がり、水不足となかなか上手くいかない天候ではありますね。関東がそうでも西日本や、特に沖縄などはかつてないほどの大雨で、河川の泥が海に流れ込み、名産海ブドウにも被害が出ているという状況。神さまのなさることではありますが、その神さまを怒らせるようなことをしているのは我々人間でありますから、慎まないといけないと思うのですがさてどうなることやら。

毎年のことですが、観測史上初めてだとか、かつて例がないほど、だとか本当によく聞かれる言葉ですね。こんなに毎年史上初めてが続くとどうなってしまうんだろうと不安になりますね。それに毎年尋常でない夏の暑さ、これも最高気温の更新が続いていて、もう今年辺り摂氏41~42度くらいになっちゃうんじゃないかと思うくらいです。

我々の商っている骨董、古美術の世界は先祖が永い年月伝えたものに光を当て、再評価して次世代に伝えていくもの。ですからその伝えられてきた長年の環境が僅か数十年で変化してしまうことの怖さ、それをより感じてしまうのは私だけではないと思います。

遠い未来のことより目先のことが大事とばかり長年やってきた結果がこのていたらく、そしてこの状況が未来永劫続くと思い込む人間の傲慢さ、これにいつか天罰が下るような気がしてなりません。こうしてパソコンを利用し携帯電話を掛け、灯りをともし続ける自分もその罪深い人のひとりであるわけですが・・。

なるべく我慢することというのは昨今の熱中症などもあり難しいことですが、それでもむかしの暮らしに想いを馳せることが少しでも化石燃料の消費に繋がらないことになるのでは、とエアコンなどはセーブしているつもりです。個人の出来ることなど僅かですが、その個人の蓄積で国家が成り立つのならば国任せ、行政任せ、他人任せではなく、自分自身が率先してその意識を持っていなければならないのではないでしょうか。

偉そうなことを云うつもりは毛頭ないのですが、梅雨の晴れ間にちょっと考えてみたことを共感してくださるかたがおられたら、この戯言も少しは意味があるのかなと考えています。来年も庭でキレイな花を愛でたいと思うこの頃です。

日常]2017年6月22日