雑記

SNSの効用

暑かったり寒かったりでなかなかいい秋の風情という感じになりませんが、それでも深まっていくのは感じられますね。美味いものがいろいろと出回ってきて呑むのも大いに愉しい季節ではあります。

さて先日は浅草向島の牛嶋神社で行われた「すみだ川ものコト市」なるイベントに行ってきました。もともと江戸時代は別の場所にあったらしいこの神社、川の氾濫でお社だか御神体だかが流されてきたのだそうで、隣接する庭園はもともと水戸藩の下屋敷らしいです。きっと普段は静かな庭園も今日はフリーマーケットのおかげで、にぎわっていました。物販やスナック、お酒も売っているこちらでは設営されたテーブルで食べることもできるようでした。

しかしマイナーと云えばマイナーな(主催者の方失礼!)この催事、なんで行ったのかといえばライブステージも組まれていたからです。聴きたかったのは内田勘太郎さん、ステージといってもこの神社の神楽殿をそのまま利用してのことなんですが、もともと奉納する神楽を演じる場所、そして古来よりまつりにおいて民衆にひと時の陶酔を授ける場所、という意味ではまたぴったりの場所なのでありますね。

そして内田勘太郎さんといえば憂歌団のギタリスト。初めて買ったアルバムは1979年発表の「ローリングステディ」でした。しばらく後に憂歌団の名前を知ったので、このアルバムを買ったのもリリース直後ではありませんでしたが、ブルースの一文字も知らない自分にとってそれはそれは不思議な曲たちでした。木村秀勝(当時は)さんの歌声はこんなきれいなだみ声ってあるんかいな~という、艶っぽくもあり若さからくる無茶苦茶も持ち合わせていて魅力でありました。それまでアコースティックギターはなんとなく牧歌的なフォークソングのイメージで見ていたのですが、内田さんのギターは硬軟自由自在、気持ちよく緩やかで、時に激しくやはり艶っぽいものを感じる音でした。今だからこんな整理した言葉で語ってはいますが、当時はただただポーっとなって夢中で聴いていた記憶があります。ただいかんせんその当時はアナログレコードの価格は高し、こちらは銭はなし、で次々とレコードを買い漁るわけにもなかなかいかず、時々中古レコード屋さんで買うことくらいしか出来ませんでしたが、
(アーティストの方失礼!)時折針を落としては(この表現!今の若い子には伝わりまへんなぁ~)コミカルと悲哀が綯交ぜになった歌詞に笑い、かっこいい音にただただいい~いい~とのたまっておったのでした。

そしてステージ本番、マイクチェックから前奏のようなそれはボトルネックのスライドギターがギュンギュンするインストで始まりました。PAがきっちりとセッティングされていて、もっとアコギの音を単純なマイクで拾ってスピーカーで流すだけを想像していたので、予想以上にきっちりとした音が出ていて、普段はきっと静かな神社に、異国の地から渡来し大阪で醸造された日本のブルースがそれはギュワンと響きまくったのでした。数バンド上がるこれは一人30分くらいの短いフリーライブでありましたが、ともかく久しぶりに愉しませて頂きました。ありがとさんでございました。
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これを知ったきっかけはタイトルに書いた通り、まさにSNSの効用であります。なんか事件のニュースでは悪い面が取りざたされているこのSNSですが、やはりよい部分の効用が大きく、今回のことも長いお付き合いのK氏から久々に連絡があって知ったのでした。昔よく遊んだな~今どーしてんだろってな友達も検索してみれば意外と簡単に現在の様子がわかったりして、まったく便利な世の中ではあります。(時折便利すぎることもあるようですが)今回のライブはK氏の義弟さんがプロデュースしたとのことで、なるほどサウンドもしっかりとしているはず、そしてブルース好きの自分を思い出してくれて誘ってくれたK氏に感謝です。簡単に気軽に誘うことが出来るのもこれらの効用の一つでしょう。

久しぶりにお会いして祝杯を上げておいとましてきました。愉しい一日の最後、酔眼で見上げたそこには雨で洗われたスカイツリーが光っていたのでした。
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イベント]2016年10月29日

仙厓を観ましたか

暑かったり寒かったりと季節の変わり目ですね。少々風邪をひいてしまいまして、咽喉が痛くて夜中に起きてしまったりと、今ひとつ調子のよくないのですが、なんとか薬や栄養ドリンクでごまかしごまかしやってきています。皆さんもどうぞお気を付けください。

先日お休みの日に(自営業に決まった休みというのは基本的にないのです。ただその気になったときだけお休みになるということですな)丸ノ内の出光美術館に「大仙厓展」を
観に行ってきました。これは福岡市の美術館と九州大学、そしてこの出光のコレクションが揃う力の入ったもの、会場は年代ごとに画風の変遷がわかるようにズラッと大量に並べられていてなかなか見応えがあるものでした。

仙厓と云えば指月布袋の図があまりにも有名ですが、その前の若いころは本格的な画僧を目指していたようで、当時の絵画のメインストリーム、狩野派のようなきっちりとしたものを描いていたようです。しかしあるとき画僧の仕事に熱中することで本来の仏道修行がおろそかになることを恐れて学習を自らストップする、なんてエピソードも語られていまして興味深いですね。しかしこのことがキャラクターに合っていたようで、その後の自由闊達、奔放、無垢、などのキーワードで語られるこの人の愉しい絵画が大輪の花を咲かせるのですからいい選択だったのでしょう。あの一見童子の戯画のように見えるタッチ、伸びやかな線も基礎の修練があってこそだというのがよくわかります。良い加減な絵はいいかげんな修行ではやはり生み出すことは出来ないのです。ただの僧侶の手すさびと思っては間違いですよ。

しかし観ているこちらサイドはほんと自由に愉しんでしまえばいいこと、この展覧会にもかわいいという理由だけで観に来ている人たちも多いと思いますが、それで私は正解と思います。そのなかで仙厓がこの境地に至るまでの恐らく激烈で峻厳な、それこそ血のにじむような修行を経て生み出してきた裏側にちょっとだけ想いを馳せる人が出てくればいいのではないかと思いました。

動物や子供たちの絵も素晴らしいのですが、特に今回観ていて注目したいのが風になびく竹を描いた一幅でした。これはほんとに素晴らしい!、別にひねくれてそれがいいと云ってるわけではないですよ、風の存在を表わすのは写生がまずしっかりとしていること、そしてテクニックだけでなく、その存在をエモーショナルに表現に込めるという絵描きの資質が無ければ成し得ぬことのような気がしました。

こんな自由な境地に立った人というのはまた孤高の人でもあったかもしれません。しかしその視点はあくまでも温かく親しみを持って庶民に接している人、すでに手許に置くのは難しい稀少なものではありますが、そばで親しく眺めてみたい気持ちが沸き起こりました。

来月11月13日(日)まで開催中です。
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展覧会]2016年10月21日

秋の味覚

10月にしてはやたら暑い日などもありましたが、ようやく季節相当と思われるヒンヤリした空気になってきましたね。ここのところ本当に秋の期間が短いように思われますので、もっとこの季節を堪能したいところ、となればやはり味覚の秋でしょうか。

先日が東北方面に出張してきました。年に3回ほどは秋田で行われる交換会に顔を出します。商売になったり、ならなかったりいろいろとありますが、終われば現地の友人と一杯やるのが愉しみでもあります。この季節は新米で頂くきりたんぽ、海のものは何を食べても美味いのですが、秋田らしいと云えばしょっつるの鍋でしょうかね。やはり相変わらず美味いのであります。

さて会が終わってしこたま呑んでぐったりともう一泊した後は帰るだけなんですが、ここはやはりお土産を買って帰らなけりゃ家内の機嫌が悪くなるわけで、いつも寄る秋田駅前の秋田市民市場に向かうのですね。ここは魚屋さんが美味そうな生ものをズラッと並べてその雰囲気だけでもそそる場所です。他にも野菜、果物、塩蔵もの、乾物といろんなものが買える便利なところ、夏にはその場で岩牡蠣をさばいてもらって食べることもできます。今回はたまたま日曜日だったので、ほぼ生ものの魚屋さんはおやすみのところが多かったですね。

さて秋田と云えば山も豊かなわけで、その恵みの秋の味覚と云えばきのこ類でしょうか。食べなれないきのこですが初茸というのを買ってみました。
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形は特に変わってはいないけれど、あちこちにこの素人目には毒々しい緑青色が・・

これはこういうものであるわけですからまあ納得ですが、山で見つけたら素人は絶対に毒、あるいはカビが生えてる!と思うでしょうね。売っているおじさんにレシピを聞いて鍋にいれようと買い求めました。

そして普段はパック詰めの栽培品しか見ないこれ、舞茸ですよ。天然のものごっつでかいやつが並んでいましたので、これもいっしょに鍋に入れようと注文です。
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そしてささがきごぼうと鶏肉を入れてこんな感じに。
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そして究極の秋の味覚はやはりこれ、新米ですね。土鍋で炊く新米は涙がでるほど美味く、日本人のDNAに刷り込まれた究極の一品、最後の晩餐に何が食べたいかと云えば、この炊き立ての新米と美味い味噌汁なんじゃないでしょうか。私の場合はまだまだ俗物ですので、お供に秋田で買ったなぜかデンマーク産の筋子が後ろにいますが・・。

しかしこの秋の味覚、飯を食い過ぎるのが唯一の欠点かな。糖質オフもしばらくこの季節はお休みというところですね。皆さんも食べ過ぎにはご注意を、と自分に言い聞かせるように云っております。
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旅行]2016年10月10日

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