雑記

料理で息抜き

 お暑うございますな、夕方にはスコールのような夕立、まさにゲリラ豪雨でした。出先でしたが、まだ屋内だったので特にぬれずに済みましたが・・。しかしこんな降り方だとあんまり風情を感じるものではないですね。

 古陶磁好きで、また酒好き、美味いもの好きであれば家呑みでもなるべくなら美味いものを頂きたいと思うものですね。かく云う私もその手合いで、ちょくちょくうまそうな肴を見つけては家呑みを実行しております。そんな時には料理も息抜きとしてよくしていますよ。

 そもそもそんな陶磁器と美味いものの組み合わせに心魅かれたのは魯山人だったと思います。まったく古いものの知識も何もないときに、彼の本をたまたま買ってむさぼるように読んだ記憶があります。魯山人の料理はもちろん高級な食材や珍味なども出てきますが、意外にしっくりとくるのは始末の心でしょうか。例えば刺身をひいた鯛の中骨に残ったすき身を真薯のようにしたり、常に食材を無駄にしないことなどを語っていました。ただ金にあかせて高級美食だけというのではなく、ただただ己の味覚をたよりに純粋な美味と云うものを探求する、それが芸術にさえ昇華していくというものでした。

 また地味で質素な食材は豪華なうつわに盛れ、豪華な食材は何気ないうつわに盛れ、との言葉も、組み合わせの妙、コーディネートの神髄を語っています。そんな美意識は建築にも調度にも、はては風呂場のタイルにまで盛り込まれていました。

 さてそんな山人にはなかなか近づけそうにはありませんが、自分なりのスタイルを持つことは大切なことと云う自覚はあります。今夜は天然のヒラメが美味そうでしたので、昆布〆にしてから卵黄とゴマ、茗荷や大葉を和えて丼に仕立てた、云わばヒラメのヅケ丼であります。

 なかなか上手く出来たな~、と自画自賛であります。
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日常]2014年6月25日

慎みを持つと云うこと

 梅雨のはっきりしない天気が続いております。皆さん如何お過ごしでしょうか?世間にはあんまり嬉しくないニュースばかりで気が滅入ると云う方も多いでしょうね。どうもいやなことばかりが耳に入ってきますが、それもこれも人間の欲から発する事柄なんでしょう。かく云う自分も人間の端くれ、常に欲にとらわれているわけですが・・。

 作家の池波正太郎さんはエッセイだか、あるいは小説のなかでおっしゃっていました。曰く「人と云うものはみな勘違いをする生き物、だからそのことを肝に銘じて慎みをもって毎日を過ごさなければならない」 ともするとつい勘違いをするおっちょこちょいな自分には耳が痛いことしきりではありますが、それでもそのことを自覚するだけでもだいぶマシになろうと云うもんでしょう。

 今日も今日とて慎みを持って自分の仕事に没頭すること、そこに尽きるんではないでしょうか。謙虚に、でも卑屈にならず堂々と、日々の勉強を
怠らずに続けていきたいと思います。今夜は池波氏に倣って、一杯呑んで憂いを払って寝ましょうかね。

日常]2014年6月22日

酒の〆

 今日も呑んでますか?、ご同輩。仕事終わりできゅっと一杯ってのは堪らんもんですね。しかしこう見えて私、酒の後の〆というのはあんまり食べません。理由は〆のラーメンの悪魔的な美味さ、とそしてそのダメージをよく認識しているからであります。ま~これから寝るだけと云うのに腹いっぱい食べられたら、胃や肝臓もやってられんわとふてくされるのも道理です。もたれた身体に胃薬流し込んで仕事に向かう、何度となく繰り返してきた愚行であります。

 しかし身体には確実に酒のバチがあたってくる年代、今となってはきつくラーメン禁止令が発動中なわけです。そんな毎日のある日、東北の某市まで出張してきまして、現地で友人としこたま呑む機会がありました。その人もかなりの酒好き、いや中毒患者であるわけで、これはもう当然一軒で終わらない。呑んで呑まれてまた呑んで、何という酒バカ共の愚かなイニシエーション。グダグダに酔っぱらって、禁断の果実、最後のスナックで〆ものをオーダーしてしまいました。

 年季の入った店構えに年季の入ったママ、いやグランドマザーか。よしゃ~いいのにまたビールを呑みながら、〆ものを食して帰りました。「いや~すいとんってラーメンよりずっと身体にいいよね~」ほんとお互い病気でありますね。でもその汁の味は胃に沁みるように美味いのは云うまでもありますまい。
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旅行]2014年6月18日

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