不安な日々がのんきな日々に変わるように…
改めてこのたびの大震災によって被害を被られた方に対し、心よりお見舞い申し上げます。いまだ福島原発の問題も収束のめどが立たないなか、不安で夜もなかなかぐっすりとは眠れない方も多いかと思います。物資の供給も主な避難所ではそれなりになってきているようですが、自宅避難者まで支援の手がまわらない現実もあり、憂慮すべき事態が続いています。
東京、または私の住んでいる埼玉県ではほぼ平穏な日々になってきています。(ごめんなさい、埼玉でも液状化や家屋の倒壊で被害を受けた方もいらっしゃるので、厳密にはそう云えないとは思いますが…。)町には穏やかに笑う顔が溢れ、表面的には日常を取り戻してきています。
しかしあたりまえの日常がいろんなもので支えられていたのだと、今、痛感させられています。まず電力の問題、原子力に頼ることがいかに両刃の剣であったかということです。原子力のパワーは豊かな電力供給、しかも二酸化炭素の排出が非常に少ないというメリットを与えてくれる反面、このように表面に現れた時にはいかに恐ろしい力をふるうかと云うことをいやというほど見せつけられました。
電力を原子力発電に頼る、でいいのか、それほど深く考えず目先の自分の便利さにかまけて真剣に考えてこなかったわけで、今後、深く考え注視していかなくてはいけない問題です。たぶん今後、世論は原発反対に傾くことが容易に想像されますが、さりとて化石燃料に頼る火力に戻ることがいいものでもないでしょう。将来、エネルギー政策をもっとどうしていくべきなのか真剣に考えるときなのだと思います。
また関東でも東北各地の物産、工業製品の入荷がないために商売が難しくなっている人たちがいるということもあるかと思います。もはや東北だけの問題ではなく、日本中でリカバリーしていかなくてはいけないことなのですが、すぐに解決できるわけもなく難しい問題です。
いろいろ考えていくと憂鬱になっていくことばかりですが、それでもあえてその不安な日常がのんきな日常に変わるよう祈り続けたいと思います。自分に今できることは、すこしでも安らぎの時間を与えてくれる古きものたちを紹介していくことかと思っています。
どうか一日も早く安楽な日常に戻れるように、第二次大戦の、あの焼け野原から立ち上がってきた驚異的な力が備わっているのだと楽観しています。のほほんと今日一日が過ぎていくことに感謝しつつ…合掌
[日常]2011年3月30日