雑記

古染付というやきもの

暖かかったり寒かったりと、いきつ戻りつ季節は確実に春に向かっておりますね。拙宅の庭の梅が重い腰を上げたというか、やっとこさ咲き始めました。他のところはもう盛りを過ぎたかなというのに、まったくもって私と同じでのんびりと云えば耳触りがいいですが、なんともグズな性分のようです。

今日は古染付というやきものについて。京成線千住大橋駅から徒歩2分ほど、駅のホームからも見える宗教施設のようなとんがり屋根の石洞美術館に展覧会を観に行ってきました。

実業家、佐藤千壽氏のコレクションをベースにした美術館で経営母体の会社の一角にそれはあります。氏のコレクションは以前から本を持っていたので知ってはいましたが、足を運んだのは恥ずかしながら初めてです。喫茶コーナーを横に見ながら小さな入口へ。
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アプローチは型押しの大き目の平鉢から。ここは螺旋階段のように登っていく順路、といっても段はなくゆるゆると自然に上り坂なので足がつらいということはありません。形物香合番付などの資料にも載っている小さな宝石のような香合たちが並んでいる横から上に登っていくと、通路の両脇に展示ブースが設けられていて目が飽きずに歩いて行けます。

珍しい絵柄の皿、鉢類。愛らしい文様の筒茶碗、愉しい作品が次から次へと目に飛び込んできます。そもそも古染付とは中国のやきものでありながら日本からの注文品がメインであったもの。したがってその伝世品は中国本土にもなく、また他の国にもほとんど残っていません。それほど日本人の心情にフィットするやきものですので、この展覧会自体が、どこか神がかった至高の逸品を観るというのではなく、あくまでも座辺に寄り添ってくれるような親しみやすさを持ったものです。

親しさと云えばそのモチーフもそうでしょう。身近な動物たちが戯画化されて見事に懐石道具の食器としてデザインされていますからね。馬や牛、魚に鶏。また動物以外でも紅葉形だったり、葉っぱに貝、扇面に州浜、とにかくその意匠化された品々のデザイン力には現代の陶工たちもなかなか敵わないのではないでしょうか。

さて一番上の広めのスペースに上がってきました。ここには水注や水指などもありますが、多いのは五客組の型押し向付の類。お馴染みのものではありますが、これだけの種類が一堂に会せば圧巻の眺めです。一か所だけ根来の折敷に乗せたものも展示されて、実際の使用の様子を再現したところもありましたが、朱漆と染付の藍の色のコントラストは見事です。

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撮影は残念ながら出来ませんのでこんな画像ばかりになってしまいますが、ぜひとも足を現場に運んで頂いてその眼でご覧頂くのをお勧めします。第一から第三期まで展示替えしながら続いていますが、今はその第三期。平成29年4月2日(日)までの開催です。詳細は石洞美術館を検索されればすぐにウェブサイトがご覧頂けると思います。

ところで今回、ちょっとうれしいことがありました。それは数年前に私古童が扱った古染付の向付がなんとウィンドウの向う側に!。懐かしい再会でありました。旧家からのお蔵出しの五客組でしたが、五客とも型は同じで絵柄がすべて変わるいわゆる絵変わりのもの。全く今見てもなかなかの珍品の向付でした。久しぶりにそれを観て過去にいいものも扱えているのだから、もっといいものを扱ってみたいと更なる飛躍をひとり心で誓って美術館を後にしたのでした。

展覧会]2017年2月23日

現代美術と古美術と

これを書いている今日は関東でも雪が降るかもしれないと予報が出ているとても寒い日です。降ったとしても積もるほどの雪ではなさそうでホッとしていますが、北国や北陸など雪の多いところは更に積もって大変な状況が続いているようで、本当に心からお見舞い申し上げます。先日の西日本の大雪では鳥取で十数時間道路上で車が立ち往生なんてニュースが配信されましたが、なにしろ自然相手のことなので文句を云ってはいけませんが、せめて気を付けてお過ごし頂きたいと思います。

さて大仰なタイトルがついてますが、何も偉そうに言説をぶつわけではなく、要は美術の垣根のようなものは取っ払って愉しみましょうということを申し上げるだけです。骨董、古美術の世界は素晴らしいもので、それらを扱うお仕事を末席でやらせてもらっているわけですが、ともすると何やら古ければいい、いいと思われてきたものだけがいい、というような偏狭な世界に凝り固まり勝ちです。ほこりの積もったやたらきたない壺を撫でて悦に入ってるオジサン一人孤独に笑う・・、なんて絵ずらが頭に浮かびますが、一般的なイメージではそんなところで止まっているのかもしれません。

一方現代美術と云うと戦後の現代美術の海外での評価の高まり、またいろんな方が精力的に活動されて、素晴らしい作品を発信しているおかげでとても華やかな世界のイメージがありますね。投機目的のマネーが介在するのは否めませんが、それでもダイナミックにモノが動いていく世界は躍動感にあふれていて面白い世界です。

なにやら骨董の世界は陰りが見えて、現代美術を扱った方がいいと思っているのか、なんて云われてしまいそうな云い方ですがそうではありません。骨董、古美術の世界は古臭いものに見えていつの時代も新しい風を送り込むエポックメイキングな出来事が起こっています。民藝運動と云うのもそのひとつだったでしょうし、近年確信犯的にぼろ雑巾を飾った展覧会などもありましたね。凝り固まった価値観を転換させるカンフル剤の刺激によって常にリフレッシュしてきたのがこの世界、いろんなものを飲み込んでいくやはり奥深い世界なのであります。

常に新しい情報を取り入れて自分のいいと思えるモノたちをフレッシュに世の中に発信することがとても大事なこと。そうすることで古い時代のものが実は古臭くはないんだ、ということを伝えるのが私の仕事なのですね。その時に垣根を作らず素直な感覚でいいと思えたモノは現代美術のジャンルでもどんどん積極的に取り入れていこうと思います。こっちの美術の世界はおいそれと私なんぞが扱えないものも多くありますが、そこも全部が全部そうではない、自分の眼で発掘されたものを打ち出していくことは大いに可能です。

あまりに身の回りに美しいモノに溢れているこの国では、その身近なことに気が付かず無頓着で終わってしまう人が多いような気がします。また海外で売れたニュースを聞いておもむろに評価しだすなんてこともあるでしょうか。でも海外で評価されたからいい、ではなく自分たちの誇るべき美術を海外に発信してそれが評価されていく、となって欲しいものですね。(もちろんそうした活動をされてきた偉大な先達がおられたことは事実ではありますが)自国の美術や文化にもっと自覚的に目覚めることがグローバリズムなのでしょうからまだまだ真の国際人へは道半ばであります。そのことの自覚こそがまたいろんな国の文化へのリスペクトに繋がっていくことになるのでしょう。イントレランス(不寛容)な世界はもうたくさんなのです。
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床の間に現代美術の作家 菅井 汲さんのリトグラフを飾りました。組み合わせは鎌倉時代の常滑の壺。これらは決して高価なものではありませんが、時代を超えたフォルムとマチエールの響き合いが愉しいと思えるものでした。ガラス越しだけではわからない、座辺で眺めるという鑑賞でわかることもある、それをぜひとも知って頂きたいと思います。

口幅ったい物言いが過ぎましたかね。

日常]2017年2月9日