雑記

春日の神宝を観る

今日で1月も終わり、なんというか過ぎてみればあっという間のことでした。なんてことを毎年云っているようで、これも老化の一種かなと途方にくれたり、さっさと過ぎるのは日々忙しくしているからかも、と慰めたりで孔子先生のいうところ、「四十にして惑わず」どころか五十を過ぎても迷いっぱなしの日々であります。

迷ったときにいちばんの薬、それはいいものを観ることなのでありますね。先日は東京国立博物館の平成館の特別展「春日大社 千年の至宝」展を観てまいりました。藤原氏の氏神を祀る神社として約1300年前に創建された春日大社、三笠山などの豊かな原始の森がそのまま御神体としてみなされている同社、武甕槌命が神鹿に乗って同地に降臨したとのことから、神の使いとして鹿は奈良公園などを堂々と闊歩し、観光客に餌を要求する図はすっかりと奈良の景色として知られていることですね。その春日大社に伝わる数々の神宝、それらは垂迹美術の最高峰とも云える品々です。
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こういったときにその神宝の画像を載せたいとこではありますが、それは叶わないので図録の表紙だけ。

本地垂迹という思想は仏が衆生を救済するために、より民衆に近しい神々に姿を変えて現れたものであるとする説、なんだか仏教が上から目線的な感じもしますが、これも古代の宗教闘争、崇仏派と排斥派の戦いの結果であるのでしょうか。神々にはそれぞれ決まった本地仏が存在するということになっています。そして神々の姿はもともと目に見えないものであったり、自然の山や滝や巌自体であったものがいつしか礼拝対象として本地仏を社の目につくところへ掲げるようになっていきます。それらが私たちもよく扱っている掛仏と呼ばれるものです。

会場には木彫や銅造の神や仏、また軸に仕立てられた、神域を描いた宮曼陀羅などなかなかに手に入れることが難しい涎が落ちるようなものばかりずらーーと並んでおりました。なにしろそれらは撮影ができないので詳細は観てのお愉しみなのであります。

唯一記念写真的に撮って良いコーナーが設けてあり、そこは皆写メっております。他にも社の部分を再現した造作があったりとなかなか特別展らしく凝ったものでありました。
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鉄製のつりさげて使う灯火器、いわゆる春日灯籠は時々は我々でも扱うことが出来るのですが、実際にそれらが使われていた雰囲気がパネルの写真や灯りがともった状態で見られるようにしてありました。

やはりいいものを観ると心が洗われると云いますか、すっきりとした心地になるわけですね。(ほんのちょっと普段扱えないくやしさなんかもありますが、ここまでいいものだと完敗というところでしょうか)でも少しでもいいものを観て勉強し、目を磨いておけばいつしか何かチャンスがあったときに頑張れることもあるでしょうからそれを怠らないようにしないといけませんね。

最後にお勉強の本を買って帰りました。
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展覧会]2017年1月31日